ダイナミックレンジ (1/26/2006)

 

ずいぶん前のことになるけれど、日本から訪れていただいたお客さんに、日米の違いについて聞かれたとき、こんな話をしたことを思い出した。

日本人というのは非常に均質である。いい意味でも悪い意味でも突飛な人が少ない。総中流意識とか言われるとおりだ。私自身、正直言って自分はいわゆる中の上くらいかななんて漠然と思ったりしている。つまり標準偏差が極めて小さい。このごろは二極化が進んでいきそうで問題にされているらしいけれど、労働力という視点から見ればまだまだ大変均質だと思う。基本的には、誰でも教えられればある程度のことがこなせる。

翻ってアメリカ社会を見てみると、それこそいい意味でも悪い意味でも、びっくりするほどの人がいる。この人は何でこんなにすごいのだろうと思っていると、同じ日にこの人はこれでどうして社会を渡っていけているのだろうと思ったり。つまり標準偏差が大きい。簡単に言えば、ばらつきが大きい。本当にピンきりであるといいうことだ。

つまり日本はダイナミックレンジが狭くて、アメリカ(シリコンバレー)は広い。この違いはまさに百聞は一見にしかず。その理不尽さというか、日本人の一般的な許容範囲からは完全に逸脱しているであろう現実は、実際に体験してみないとわからないかなと思う。

いい悪いの問題ではなくて、とにかく「違う」のである。

こういったことを論じる場合、いわゆる模範的な小論文としては、いくつかの実例を挙げるとより説得力が増すのだろうけど、この逸脱具合というか、感覚の違いというのは筆舌に尽くしがたいものがある。

もちろんそういった極端な人は、会社において正社員としてはまず採用されないのだけれど、temp(temporally)stuffとしては採用されることがある。そしてなぜそんなことが起こるのかと言えば、彼らとて悪い人ではないからだ。ここが難しいところ。人はいいんだけれども仕事がまったくできないというケースが往々にしてあるのである。人はいいいからインタビューではそこそこ好印象を与える。そして私はこれもできます、あれもできますと悪気もなく述べ立てる。もちろんそれが必ずしも期待通りにいかないことはみんな承知しているのだけれど、基本的に性善説に立っている人が多いのか、はたまた需給バランスが取れていないのか、tempの場合、感じのいい人は比較的簡単に採用される。もともとそういうポジションに応募せざるを得ないという事情を考えれば、多くを期待するのは間違っているからともいえる。これはちょっとpolitically incorrectかも知れないけど・・・。

ちょっと話がそれかかっているが、ダイナミックレンジの広さ、そしてそれを容認すること、それが新しいことに挑戦できるこの国(アメリカ)の強みの源泉のひとつとして、今までのところはいい方向に働いてきたのかなと思う。

もともと他民族な国家だし、日本のような均質性を期待することはできないからある意味当たり前なんだろうけどね。

 

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