本当に日本はだめか    

 

 ちょっと大上段のタイトルをつけてしまったが、困っている人がいても声もかけずに知らん顔をするとか、縦割り行政で物事が進まないとか、政治家や官僚は票集めや既得権益確保しか考えていないとか、警察や民間企業は癒着、談合、隠蔽ばかりだとか、不良債権がなくならないとか、いわゆる日本の問題点みたいな話題になると、本当にいやになる話が次から次へと出てくるものだ。そして「日本はだめだよ」と。特に海外に住む日本人の中には、残念ながら日本でつらい目に遭ったり、あるいは愛想を尽かしたりして出てきた人々もいるので、「日本はだめ」といった考えの人も多い。本当に日本はもうだめなのだろうか。

ところで漠然と「日本はもうだめ」といった場合の「だめ」とは具体的にどういうことだろう。人々がどんどん冷たくなることとか、教育レベルが下がり続けることとか、会社が次々に倒産して景気が悪くなることとか、高齢者の暮らしが苦しくなることとか、人口が減っていくこととか、犯罪が増えていくこととか、いろいろな側面がある。

「日本はもうだめ」の反対は「日本はまだだいじょうぶ」のような気がするが、何が「だめ」なのかわからないと、どうすれば「だいじょうぶ」になるのかがわからない。例えば上記のような「だめ」の原因になっている個々の問題を明らかにして、ひとつずつ解決していく必要があるかも知れない。

その一方で「日本はもうだめ」というとき、では「日本はだいじょうぶ」ならそれでいいのだろうかという問題もある。ちょっと視点を変えて見ると、世界の国々はエネルギーや食料、経済、科学技術等を相互に依存しあっているのだから、「日本だけがだいじょうぶ」ということはあり得ないはずだ。つまり「日本がだいじょうぶ」であるためには「世界もだいじょうぶ」でなければならない。しかしながら「世界がだいじょうぶ」であるためには「各国がだいじょうぶ」である必要があり、結局「日本もだいじょうぶ」でなければならない。当たり前といわれればそれまでだが、自国をよくしたいならば、他国といわゆるWINWINの関係に持っていけるよう考えることが重要である。政治家や外務省は、何かというと「国益」という言葉を黄門さまの印籠のように持ち出すが、とりあえず自国だけがハッピーならいいという基本的な発想を考え直す必要がありはしないだろうか。

 国内外の問題をごっちゃにしてしまっているが、無理やり日本はもうだめかという問題に戻ると、私は、問題は山積しているものの、日本は別にだめではないと思っている。この問題の本質は、だめだと思ってしまうことそのものにあると考えるからだ。そんな単純な精神論めいたことで問題が解決すれば苦労はないのだが、実際そうだと思うのである。ただし何かひとつを集中して改善すればよくなるわけではない。あっちもこっちも問題は山積しているのだから、世の中のありとあらゆるところにはびこる膨大な数の問題の大部分を改善しなければならない。ということは一部の人たちががんばるだけでは不十分で、世の中の人みんなが希望を持ち、国外も含めた世の中の改善に向けて、前向きに取り組まなければならないのだ。希望の持てる社会にすることを政治家(他人)に望み、そうならない場合に政治家(他人)を責めるのはあまり建設的とは思えない。自分が何かをするべきなのだ。そういうつもりで政治家になるのもいいが、どうも政治家という職業は、パワーや影響力がついてくると若いときに考えたことを忘れ、多くの場合人間を変えてしまうような気がする。本当に世の中をあるべきいい方向へ変えていけるのは、地道で草の根的な活動なのではないだろうか。

誰もが超人的なエネルギーを持っているわけではないので、それぞれが自分のできる範囲のことをすればいいと思う。何をしたらいいかわからないというのなら、少なくとも気持ちだけは前向きに持とう。たとえば理想の暮らしを思い浮かべてみよう。そこに現在とのギャップがあれば、そのギャップを埋めるためにやるべきことが見えてくるかも知れない。千里の道も一歩からである。あきらめたら何も変わらないのだ。

 

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