製薬会社での仕事

 

私の入社は平成元年。その頃は凝った新入社員研修をするのが流行っていて、自衛隊研修とか座禅研修とか、おもしろい体験をさせてもらった。3ヶ月におよぶそれらの研修が終わって配属されたのは、予想通り医薬研究所合成グループ。その中でも抗癌剤を研究するグループだった。抗癌剤は一般に毒性が強く、そういう物質を扱うことに抵抗感を持つ人もいる。しかし私は抗癌剤の研究がしてみたいと思っていたのでラッキーという感じ。実際は他にどういう薬があるのかよく知らなかっただけで、単に「仕事は新しい抗癌剤の開発です」なんて言えたらかっこいいかもなどと考えていただけだった。

個人的な動機はともかく、癌が難病であることは間違いない。世の中には副作用の強い抗癌剤による化学療法に対する批判もあるが、副作用と主作用(薬効)を何とかして分離すべく、あるいはより効果のある薬を開発すべく、様々な分野の研究者が日夜心血を注いで新薬開発に取り組んでいるのである。もちろんこれは癌に限ったことではないが。

 

さて「研究員」などという、新卒の自分としてはちょっと照れてしまうような肩書きをもらって、るんるんと仕事を始めてみると、これが驚くほど大学時代と似ている。いや似ていると言うより大学時代よりもっと厳しいではないか。先輩研究員たちは皆私の学生時代より朝早くから夜遅くまで働いているし、各グループを取りまとめる主任研究員の方々はいくつもの研究テーマを管理し、まるで教授みたいだと思った。

私としては、大学の研究室時代に何度か学会発表もさせてもらったし、一応修士論文なるものも書いて、そろそろ私の専門は有機化学ですと公言してもいいかなと思って入った会社だったが、やはり研究の世界はそんなに甘いものではなかった。とにかくみんな凄いのである。各種ミーティングの度に、次から次へと私の知らない有機化学の知識が繰り出されるのに驚いた。

そんないかにも頼りない新人の私だったが、上司である当時の主任研究員からは飴と鞭を見事なバランスで与えられ、最初の3年間みっちりと教育していただいた。この方に教えられた多くの事は、今も私の中で貴重な財産となっている。後に英語で論文を発表すること、学位を取ることも早くから勧めていただいた。入社当時の私ときたら、自分が英語で論文を書くなんて気が遠くなりそうで、とても将来実現することとは思えなかった。その上博士号を取れときた日には、話す相手を間違えていませんかと喉まで出かかったほどである。海外留学なんていうのもまさに別世界の話であった。

 

ところで研究職と言えば、言うまでもなくかなり知的な職業である。つまり研究員というのは優秀でなければならない。実験がうまくできて、頭がよさそうに見えた方が勝ちなのである。一番いいのは本当に頭がいいことだが、そうでもない場合、いかにいろいろなことを知っているように見せるか、あるいは知らないことを悟られないようにするかということが重要になる。ひねくれたことを書きやがってと思われるかも知れないが、知らないことは全部知りませーんと言える勇気も開き直りもなかった私は、ヒヤヒヤした綱渡りを何度もしなければならなかった。「○○は××だ、それくらい知ってるだろ!」と言われれば、たとえその時初めて聞いたとしてもつい「はい」と答えてしまう。もちろん相手は私がそれを知らないことは先刻承知の上なのだが。うろ覚えのことを言わなければならない時は、本当は知ってるんだけどという雰囲気を何とか自然にかもし出そうとしつつ結局しどろもどろ。上の人から見ればそいつがどの程度物を知っているかなど大概お見通しなので、若造が下手に取り繕っても意味はないのだが、当事者にとっては緊張感が続くことこの上ない。

 

 しかしその後何年かして、気がつけば英語論文なるものもいくつか発表する機会に恵まれ、それらをもとに博士号も取得することができ、海外体験まですることができた。その後自分の人生自体も方向転換してしまったし、次から次へと新しい体験をするたびに考え方も変わってきている。変わることは悪いことではない、と思う。特に若いうちにしっかりとした考えを持っていなかった場合はどんどん変わらなければ。

 

続き 

Indexへ

Topへ