10-06

最初の渡米(私のケース)

 

Visiting Scientist(客員研究員)という肩書きで20004月、日本の協和醗酵という会社から私が出向いたのはアメリカ西海岸、カリフォルニアのMenlo Parkという町にあるGeronという会社である(この会社については別項を参照)。この時はビザの都合もあって単身赴任した。

あたり一帯はシリコンバレーと呼ばれ、スタンフォード大学とともに多くのハイテク、IT系企業が集まっている場所として有名な所だが、実はバイオベンチャー発祥の地でもある。1970年代、この地にジェネンテック(Genentech)というバイオベンチャーの草分けと言える会社ができ、その後非常に多くのバイオベンチャーが生まれた。シリコンバレーはバイオテクバレーでもあるわけだ。だがそういう呼び方はされず、Biotech Bayと呼ばれたりする。サンフランシスコ湾を囲むこの一帯がベイエリア(Bay Area)と呼ばれることから来ているが、これとて所詮業界用語で、バイオの世界でも通常はシリコンバレーかベイエリアの方が通りがよい。

当時の私のミッションは、ここでGeronの化学者たちと机を並べて仕事をすることで、情報の共有や日本の会社とのコミュニケーションを促進しつつ、できるだけ早く新しい抗癌剤の候補化合物を見出すことであった。

当時のGeron社は従業員130名程度、4000人以上いる協和醗酵から訪れた私にはずいぶん小さく見えたものだ。しかし最初に驚いたことの一つは、社員の出身地の多様性である。ざっと挙げても韓国、中国、タイ、フィリピン、ベトナム、インド、イラン、イスラエル、ロシア、ポーランド、ハンガリー、フランス、イギリスといった具合で、実に様々な地域からやって来た人たちが働いていた。中でも中国系の人が多かった。 第二公用語は中国語という感じで、社内では時々中国語の会話も聞こえたものだ。

 

実際シリコンバレーで暮らしてみると、非常に多くの外国人が住んでいることがわかる。もちろんアメリカの中でもそういう場所は限られるのだろうが、シリコンバレーに来たことで、日本にいたのではまず会う機会のない様々な国の人々と出会うチャンスができた。その結果抱く疑問は、これだけ近隣アジア諸国の人たちがいて、なぜ日本人はほとんどいないのだろうということである。実際にはそれなりの数がいるのだが、大半は留学生か日本企業の駐在員の方々であって、アメリカの企業で働く人にはほとんど出会わない。他の会社をいちいち覗いて歩くわけにはいかないので、どのくらい少ないかについての定量的なデータはないのだが、次のような経験がある。

夏の期間、社内でソフトボールのチームを編成し、同じシリコンバレー内のバイオベンチャー同士で6試合ほどゲームをした。つまり6社の人たちと会う機会があったわけだが、他の会社にもアジア系の顔はたくさん見られたにも関わらず、少なくともそれらの中で日本人を見つけることはなかった。他の国と比べて日本人はソフトボールを嫌うということはないだろうし、どちらかと言えばむしろ好きな部類に入ると思うので、これは日本人が非常に少ないことを示唆していると思う。後年この地でも知人が増えてくるに連れ、現地採用で働く日本人もそれなりにいることはわかってきたが、他のアジア諸国と比較するとかなり少ないことは間違いない。

 

 仕事の面で元々それほど自信があったわけではない私であるが、少なくとも私の専門であるメディシナルケミストリーの分野では、アメリカだから、シリコンバレーだからといって必ずしもすごい人たちばかりではないことがわかってきた。ひとつの会社にいるだけでどうしてシリコンバレー全体のことがわかるのかと思われるかも知れないが、ハイテク同様バイオの世界においても、シリコンバレーの人材の流動性は非常に高い。ひとつの会社の中でも多くの人が数社で働いた経験と、会社間にまたがる個人的なネットワークを有している。大きめの製薬会社から来る人もいる。だから人々の話を総合すれば、何となくシリコンバレー全体の傾向はわかるのである。誤解のないように書いておくが、Geronという会社のレベルが低かったという意味では決してない。

 

日本人が少ないことに話を戻すと、シリコンバレーはこれほど多国籍な環境でありながら、特に私の関わるバイオインダストリーの分野で、日本あるいは日本人の存在感がなさ過ぎるのではないかと感じた。この地をハイテク産業のメジャーリーグという言い方をする人もいる。バイオベンチャーに関しても似たような環境だと思う。そして科学技術では先進国のひとつであるはずの日本。本当にそうならば、この地でもう少し日本人が目立っていてもいいのではないだろうか。日本国内では絶対に体験し得ない環境に接して自分の中の何かが目を覚ましたというと大袈裟かも知れないが、とにかくそう感じてしまったのである。それではどうしたらいいのか。「日本人はもっとシリコンバレーに来なければいけない」。予定された1年間の滞在が終わりに近づく頃、そんなことを考え始めていた。

 

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