会社人生を楽しむために

 

 アメリカの会社に転職して2年半になる。相変わらず英語でのコミュニケーションは不自由なままだし、レイオフまで経験してしまったし、いろいろと大変ではある。でも正直言って、それでも結構楽しいのだ。現在の暮らし全体が相当楽しい。別に日本の会社で働いていたときも、つらかったわけではない。楽しい時間もたくさんあった。でも今思うに、「自分の人生」のような大枠で考えたとき、そもそも自分がそれを楽しんでいるかどうかを、ゆったりと考えるだけの心の余裕がなかったのだという気がする。

 それはきっと、自分の人生の中で「会社」の占める割合があまりにも大きかったからではないだろうか。あらためて思い返すと、来る日も来る日も頭の中は会社のことでいっぱいだった。自分のプロジェクトがなかなかうまくいかない、次のミーティングまでにこれくらいはやらなければ、本社の誰それが転勤になった、あの人はきっと次の取締役候補だ、あの主研(主任研究員)はすごい、この主研はどうしようもない、あの部署の新人はできるらしい、この部署の新人は変人だという話だ、今度の飲み会は誰を呼ぶ、呼ばない、あの面倒な委員会の委員に任命されるか、されないか。毎日毎日、そんなことばかりだった。本当にこれでもかというほど、社内のことばかりなのである。挙句の果てに、言い訳がましく時折休日出勤することで自分を慰めてみたり、人事異動の情報やつまらない噂話を人よりほんの少しだけ早くキャッチしては悦に入っていたりしたのだ。

 勤める会社が自分にとっての「世界」だったといっても過言ではないほど、日々の暮らしは会社一色だった。ちょっと自分を見つめてみれば簡単にわかりそうなことなのだが、実際には日本の会社を飛び出してからしばらく経って、何がもやもやとした閉塞感の原因だったのか、部分的かも知れないがようやく気がついたのである。もちろん週末や連休には家族で遊びに行ったり、時には学生時代の友人で集まったりすることもあった。しかし頭の中はいつも会社や仕事のことでいっぱいだった。やはりこれは(少なくとも私にとっては)問題だったのである。いくら従業員数千人の大企業といっても、本当の「世界」と比べればあまりにも狭すぎる。もちろん例えば、研究に没頭してさえいれば幸せという人たちだったらそれでもいいのかも知れない。でも私はそうではなかったということだ。

 では現在は何がよくて、以前よりも楽しいといえるのか。一言でいえば、「ゆとり」かなと思う。時間的にも、精神的にも、ゆとりがある。ちょっと何かあったときにも融通が利くフレキシビリティがある。始めに会社ありきではなく、始めに自分ありきなので、会社の規則や拘束や、無言のプレッシャーを前提にして自分の時間をひねり出すのではなく、まず自分の時間を確保してから会社に捧げる時間を考えることができる。もちろん会社の仕事は成功させたいので、できる限りの時間を捧げるのは間違いないし、結果的には似たような配分になるのだが、大事なことはそれを決める順序である。自分の人生の時間割を自分でデザインできるというのは、本来当たり前なのかも知れないが、それが当たり前でないのが日本の社会でもある。一方それが当たり前のアメリカの人々には、もしかしたらその有り難味がわからないかも知れないなと思う。日本の社会を経験してからアメリカに来ると、その当たり前のことが本当に有難く感じられるのである。

 

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